Opinion : 相対的な勝ち方と絶対的な勝ち方 (2007/2/5)
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世に「勝負」と呼ばれるものはたくさんある。かつて、「太陽」という雑誌が「百番勝負」の特集を組んだことがあって (いつの話だよ)、スポーツ、政界、財界、言論界など、さまざまな分野をにぎわした「勝負」について取り上げていた。もちろん、ビジネスにおける企業同士の角逐だとか、国家同士の角逐、その究極の姿といえる戦争だって、勝負の一種といえる。
その「勝負」の勝ち方には 2 種類あるよね、というお話。
それが、タイトルに書いた「相対的な勝ち方」と「絶対的な勝ち方」。具体的に定義すると、こんな内容になるだろうか。
相対的な勝ち方 :
「相手に点をやらなければ勝ち」あるいは「とにかく相手より点が上回っていれば勝ち」というもの。絶対的な水準は後回し、あるいは無視して良い。
絶対的な勝ち方 :
「とにかく自力で一定以上の得点を挙げないと勝てない」というもの。
いわゆる「俺様定義」の領域に入ってしまうけれど、そう外してはいないと思う。
野球の世界には「投手戦」「打撃戦」という言葉があるから、それぞれ「相対的な勝ち方」「絶対的な勝ち方」と分類できるかなー… と思ったけれど、投手戦でも自軍が最低 1 点は挙げないと勝てないから、これはちょっと違う。むしろ、相対的な勝ち方というのは「自軍は 1 点も挙げられなくても、敵軍がマイナス点になれば勝ち」という方が適切。野球では、それはあり得ない。サッカーの PK 戦ならどうだろう ?
(2007/2/12 追記 : サッカーだと、PK よりもオウンゴールの方が適切かも。しかし、最初から敵のオウンゴールを期待して試合をするのって、どうよ)
一方、入学試験は相対的な勝ち負けの問題になるかなと思う。定員という「枠」があらかじめ決まっていて、その枠の範囲内で上の方から順番にとって行くのが基本パターンと考えると、自分がどんなにいい点を取っても、ライバルがそれを上回る点を取っていれば不合格。まさに相対的な問題。
逆に絶対的な勝ち負けの問題になりそうなのは、たとえばスキーのバッジテスト。1 級なら 5 種目合計 350 点、2 級なら 4 種目合計 260 点を取らないと合格にならない。この水準に達しなければ、一緒に受検している人の中で自分がトップでも、結果は不合格。だから、一緒に受検している人と競っているわけではなくて、競う相手は斜面や検定員。
戦争の勝ち方にしても、「いかに自軍の犠牲を少なくして勝つか」「いかにして圧倒的に勝つか」という考え方があれば、「自軍の犠牲が多くても、敵軍にもっと多くの損害を与えられれば構わない」という考え方もある。前者は絶対的、後者は相対的、とこじつけられるかも (ちょっと違う ?)。
では、あまたの勝負事を単純に「相対的な勝ち方」と「絶対的な勝ち方」に二分できるかというと、そうでもなさそう。
たとえば、何かのカテゴリーで複数の企業がシェア争いをやっている場合。
単純に考えれば、ライバル製品に対するネガティブ キャンペーンを張るとか、あるいはもうちょっと体裁のいい形だと比較広告で「○×機能比較」みたいな形にして自社の製品・サービスの優越を売り込む。こうすることでライバルから顧客を奪い取ると、自社のシェアが上がる。だから、これは相対的な勝ち負けの問題に見えるけれど、実はそこに落とし穴。
それは、場合によっては「顧客がその市場自体にソッポを向く」という選択肢があり得るから。そうなると市場のパイそのものが縮小してしまい、「シェアは上がったけれど売上が減った」なんてことになりかねない。あと、価格競争の泥沼になって単価を下げまくった場合にも、「シェアは上がったけれど売上が減った」あるいは「シェアは上がったけれど利益が減った」になりがち。
だから、製品でもサービスでも、ライバルの方ばかり見ていないで、顧客に対してより優れたモノを提供するという「絶対的な勝負」の部分を忘れると、結果として「相対的な勝負」にも負ける、あるいは負けないまでも勝てもしない、という結果になりそうに思える。つまり、絶対的な勝負と相対的な勝負の複合型ということ。
選挙にも似たところがある。
以前に blog で書いたように、選挙とは相対的な順位付けで勝ち負けが決まる世界。だから、競合する候補者や政党を対象としてネガティブ キャンペーンを張るのは、よくある話。選挙がなくても、国会でも似たようなことは起きていて、今も野党が必死になってやっている。つまり、ライバルの票をはぎ取って自分に回すことができれば、勝ち。という考え方。
ただしこれにも落とし穴があって、「有権者が選挙に行かなくなる」というパイの縮小が発生する可能性もある。つまり、ネガティブ キャンペーンを張るとか、国会で牛歩戦術や審議拒否戦術をやるとか、ライバルから票をはぎ取ろうとしてやったことが、結果として「棄権」という形の票のはぎ取りに変質してしまうリスクがある、ということ。
だから、ライバルの足を引っ張るだけでなく、より優れた政策を売り込む、それができる候補者を立てる、といったことを平行してやらないと、勝てそうで勝てない。「野党が頼りないから、消極的に与党に入れる」という候補者を引きつけるためには、それが必須のはず。上でリンクした blog エントリのコメント欄で、ネガティブ キャンペーンによる「票のはぎ取り」が功を奏するのは接戦の場合に限られる、と書いたのは、そういう考えがあるから。
そんなわけで、大臣の失言をネタにして「辞任要求」を突きつけるとか、あるいは国会で審議拒否戦術を使うとかいうやり方は、決して「絶対的な勝ち方」にはつながらないと思う。「1 対 0」で勝とうとしているのではなくて、「0 対 マイナス 1」で勝とうとしているのが、今の野党のあり方なんじゃなかろうか。
それって、与党に対する支持を減らすことはできるかも知れないけれど、それがそのまま野党に対する支持に転化すると考えているのだとしたら、ちょっとおめでたいかも知れないよ ? と思った。与党の足を引っ張るだけじゃなくて、平行して野党の得点を伸ばす方策を講じられているといえる ? そんなことばっかりやってるから、最近の選挙で投票率が低空飛行し続けているのだ、とは考えないの ?
それとも、万年野党をやっていると、与党の足を引っ張ることしかできなくなるんだろうか。足を引っ張ることしかできない、「0 対 マイナス 1」で勝とうとすることしかしようとしない政党に、有権者が国政を託したいと思う ?
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