Opinion : 主義・思想のために死ねますか ? (2009/5/4)
 

諏訪南 IC から白樺湖方面のスキー場に向かう道の周辺では、どういうわけだか、共産党の宣伝看板がやたらと目立つ。「リストラ・貸しはがしは許さない」なんていうのから、「アメリカ追従から抜け出します」(要するに、日米安保を破棄して米軍基地を追い出せば平和になる、というやつ)、「まもろう憲法 9 条」なんていうのまで。

あのエリアで、看板の数だけなら一等賞だと思うけれど、国会の議席がそれに比例して一等賞になるかというと、実績はいわずもがな。

そういえば、昨日は憲法記念日だったけれども、改憲とか護憲とかいう類のイベントに行った人と、遊びに行っちゃった人と、どちらが多かっただろう。どう見ても後者だ。と書いている自分自身からして、友人とつるんでスキーに行っていた。


今年に限らず、護憲派の人は往々にして「とにかく憲法 9 条を変えてはならん」と信じるあまり、暴走して、いわんでいいことまで主張してドン引きされる。たとえば、9 条を変えるなんて怪しからん、そんなことをするぐらいなら無抵抗で攻撃されて死ぬ方がマシだ、なんて発言をする人がいる。

でも、それって早い話が「9 条のために死ね」というのと同義。そうなってくると、一見したところでは真逆のポジションからの発言と思える「お国のために死ね」というのと、根っこのところは同じじゃなかろうか。特定の思想とか体制とかイデオロギーとかいうモノのために命を投げ出せ、といっている点において。日本を北朝鮮みたいな国にしたいわけ ?

右も左も、極端に走るとグルッと回って一周してきて、同じところに行き着いてしまう。と指摘している人がいるけれど、まさにそれを地で行っているなあと。
「命を投げ出せ」は極端だけれども、たとえば「海賊対策のために自衛隊を出すな」と主張するついでに「海賊がいない喜望峰を回る航路にすればよい。その分のコストアップは甘受すべき」なんていうのだって、「9 条」のために犠牲を強いるのは当然、という考えに立脚しているわけだから、程度の差はあってもベクトルの向きは同じ。

余談だけれども、喜望峰まわりを主張する人に訊きたい。喜望峰まわりの欧州航路はギニア湾界隈を通ることになるだろうけれど、ギニア湾方面を初めとするアフリカ西部にも海賊はいるんですけど ? それについてはどう説明するつもりだろう。

いってる当人は、自分が信じるイデオロギーの重要性を主張しているだけで、特別に変わったことをいっているわけではない、というつもりかもしれない。でも、イデオロギーのために経済的な犠牲を、あるいは自らの生命を差し出せと求められたら、ドン引きする人の方が圧倒的に多いのでは。

以前に「横須賀で見た、サイレントマジョリティの本音 (?)」でも書いたように、反対デモに参加する人よりも、在日米軍や自衛隊の基地公開に行って楽しんでいる人の方が圧倒的に多い現実がある。現状に対して肯定的かどうかはともかく、少なくとも強力に否定的ではない人が多数派を占める、ということの傍証にはなると思う。

そういう人を反対方向の主張に振り向かせるのに、「自分たちの思想は正しい。そのためなら経済的犠牲も生命の犠牲もいとうべきではない」なんていったら、ドン引きされるのはあたりき車力の FBX-T。たいていの人 (= サイレント マジョリティ) は、思想のために死ぬことよりも、まず自分がいかにして生き延びるかを考えるものだろうから。

生き延びるかどうか、というレベルまでクリティカルな話でなくても、目に見えるメリットがあるかどうか、という話に置き換えてもいいかもしれない。現に、マスコミでいろいろ叩かれているものの、家電量販店や旅行代理店では「定額給付金セール」といって盛り上げているし、「1,000 円高速」のおかげで渋滞が激化するという明確な効果が出ている。これって、なにがしかのメリットがあると感じた人が多かったからなんじゃなくって ?

結局のところ、誰だって霞を喰って生きていくことはできないから、まずは経済的メリットがあるかどうかを気にする。定額給付金や 1,000 円高速に対する世間一般の反応は、そのことの一例。

テポドンでも何でも、目に見える形で不安感を突きつけられたときには、それに対して (100% でなくても) 効果がありそうな話に支持が集まる。PAC-3 やイージス BMD 対応艦を展開させるのと、「無防備都市宣言」「9 条があれば攻撃されない」「非武装が一番合理的」のどっちが安心感があるかというと、前者に軍配が上がった (少なくとも、対立側に支持が行かなかった) のは紛れもない事実。それは、言葉を振り回すだけの能書きよりも、具体的な迎撃手段が支持されたということなのでは ?

しかし現実は、自分たちの主張が受け入れられないとなると、「この素晴らしい主張が分からない愚民どもは馬鹿だ」的な方向に行ってしまいがち。そして、さらに尖鋭化してドン引きされる、負けのスパイラルに陥るケースが多そう。


まとめると、「素晴らしい思想なのだから、そのために死ね」と主張するようではダメ。具体的な問題解決、具体的な利得を提供できなければ、その思想に対する支持は集まらないだろうということ。ただし、裏を返せば「メシをちゃんと食わせるから、独裁国家・警察国家でもいいよな ?」という話に転ぶリスクも考えられそうだから、注意が必要ではあるけれど。

もちろん、これは一般論だから、ときには思想のために殉じる人も出てくる。でも、それが殊更に話題になるぐらいなら、それはおそらく多数派にはなっていない。珍しい出来事だからニュースになるので、当たり前のことはニュースにならない。

第一、改憲 vs 護憲の話についていえば、「護憲のためには、改憲について論じることから禁止すべきだ」なんて主張するようでは、始まる前から終わっている。そういうことを平気で主張する人が、より広範な一般論としての言論の自由を、護ってくれると思う ? あ、この人達は気に入らない意見を封殺するんだな、と思われる方が自然な流れだと思いますけど ?

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