Opinion : 事故報道との付き合い方 (2009/11/2)
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海自の護衛艦「くらま」とコンテナ船「カリナスター」の衝突事故に絡めて、事故報道に対してどういう風に接していけばいいだろう、ということについて書いてみようと思った。過去にあちこちで書いていたことと重複があるかも知れないけれど、御容赦を。
以前から個人的にブーブーいっていることだけれど。特にテレビでは、何か事故があるとすぐに「原因は何だ」といい出して、専門家のコメントを取りに行く悪癖がある。事故発生直後に飛び込んでくる断片的な情報だけで、そんな簡単に原因が分かるもんなら、専門家を集めて事故調査をする必要なんてない。
今回の件に限らず、大きな事故が起きたときには往々にして、事故の直後に入ってくる情報は錯綜しているもの。ときには、当初に出てきた情報と後になって出てきた確定情報で、内容がえらく違っていることがある。今回の事故でも、関連する艦船の針路に関する情報がまとまるまでには、少し時間を要した。
東亜国内航空の YS-11 墜落事故では、航空自衛隊のレーダーサイトで捉えた事故機の軌跡情報が、事故直後とその後でずいぶんと違っていた。最初の情報では、函館まで来ないで北方で反転して山に突っ込んでいるように見えたものが、後になって出てきた情報では、確か、函館まで来ているという内容に変わっていたはず。そこで当初の情報を前提にして調査を始めると、とんだ間違いにつながりかねない。
この件に限らず、今回の「くらま」の貰い事故でも話が錯綜した。特に自衛隊が絡むと、往々にして自衛隊側に原因を求める傾向がある (ように見受けられる) ことも、話を錯綜させる一因になるかも知れない。
そんなこんなで、発生直後の早い段階から「○○が原因ではないか」「○○の側が悪いのではないか」といった話が出てくることがあるが、あまり本気にし過ぎると、後でハシゴを外されるかも知れない。情報が不十分な段階で下した判断、あるいは予測が外れるのは、それをいっている本人にもどうしようもないことだから。(もっとも、ときには意図的に特定の方向に話を誘導しようとする人もいそうだけれど)
航空機事故だと、フライト レコーダーやボイス レコーダーといったものがあるので、物的証拠が明確になる場合が多い (先の東亜国内の件では、こうした機器がなかったのが、事故調査が紛糾する一因になった)。ところが航空機以外の事故では、物的証拠が足りない場合が少なくないし、当事者の証言がブレることだってある。なにもブレるのは民主党の専売特許ではない。
ただ、事故が発生して報道機関に話が伝わる時点で、すでに情報が錯綜していることが多いから、「だからマスゴミは」なんていってみても始まらない。というか、文句の持っていきどころが違う。受け手としては、事故直後には話が錯綜するものだと割り切って、当初に出てくる話だけであれこれ騒がないようにするのが、もっとも無難な対応ではないかと思える。
以前にも書いたように、軍事関連の情報も話が錯綜しやすい。最初に出てきた話と、後になって出てきた話でえらく食い違っていたり、場合によっては内容が正反対になってしまったりする。
そのこと自体を完全に阻止するのは難しいので、最初に出てきた話は、それはそれ。後になってできた話は、それはそれ。ということで、情報が錯綜するのは当たり前、と開き直る方が良いと思う。そうでもしないと、やっていられない。
特に今回の場合、片方の当事者が自衛隊、他方の当事者が韓国船、と話がややこしい。このことも、何かとバイアスがかかりやすい原因になるだろうし、そうなるとなおのこと、当初の情報だけで断定的に物事を語ると大間違いになる可能性があると思う。
事故とか災害とかいうのは往々にして、想定の隙を突く形で発生したり、予想もしていなかったような事態が発生したりする結果として起きるもの。事前に予想ができる、あるいは過去の経験に基づいて対策を考えられるような場面であれば、事故につながる可能性は低くなる。そういう考え方で行くと、「以前にこういう事故があったから、今回も同じではないか」といってみても、それが外れる可能性は常にある。
ついでだから、もう少し話を引っ張ってみることにして。
そもそも、事故について報じる側が対象のことをよく知っているとは限らない。交通機関の事故でも工場などの事故でも、何かと専門性が高い話が出てくるもので、そのことを知らないと勘違いをやってしまう。特に航空機事故では、そんな傾向が強いと思う。あと、最近では特に、軍事関連の報道にも同様の傾向がある。
だから、情報が錯綜する中で「事実」と「推測」を冷静に分離して報じるためには、専門分野に通暁した記者を平素から育成しておかないと駄目だと思うけれども、実際のところ、現場ではどうしてるんだろう ?
無論、不必要に刺激的にして、読者・視聴者の興味を引きつけようとすることも避けなければならないけれど、これを商業マスコミに期待するのは、難しいことがあるかも。媒体によっても、この辺の温度差には違いがあるけれど。
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