Opinion : "向上心" と "自己中心" の微妙な境界 (2010/11/1)
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個人的にどうも違和感を感じるのが、「スロー」とか「ゆる」とかいったものばかりが持て囃されている (ように見える) 風潮。なんだかまるで、常に上を上をと目指して頑張るのは格好悪いこと、イケていないこと、なんていわれそうな感じがすることもあるけれど、さすがにこれは被害妄想が入ってるかも。
これ、「ひょっとすると、高度成長期の反動が未だに尾を引いているのではないか」なんてことを考えた次第。
確かに、高度成長期 (多分、第一次石油ショックがひとつの区切りではないかと思われる) には、公害だのなんだのと、いろいろと社会的な問題が出た。大量生産・大量消費・使い捨てでいいのか、と疑問視する声が出てきたのも、そうした問題に対するアンチテーゼなのかも。もちろん、公害も過重労働も過度の使い捨てもよろしくない。とはいえ、要はどこでバランスという話。
ところが、羮に懲りて膾を吹いているのか、上を目指してガリガリ努力するのは格好悪い、もっとスローに生きる方が格好いい、という風潮が幅をきかせているように思える。ひょっとすると、例の「1 番でなければいけないのか」発言も、そうした考え方の延長線上にあるのかも知れない。
でも、以前に書いたように、他者がガリガリ努力しているときに、ひとり「スローがいい」「2 番で十分」「今の自分で満足」という意識でやっていたら、2 番どころかさらに、はるか下のレベルまで叩き落とされるのがオチ、なんてことになりそう。
それに、進歩しようと努力することを止めたら、それって終わってないか、とも思う。テクノロジーでもサイエンスでも何でも、現時点で完成していてこれ以上の発展の余地がない、なんて話はそうそうない。自分の仕事もそうだけれど、「やれるだけのことをやった」と思っていても、常に未解決の問題、新しい問題は出てくるもの。とどのつまり、日々、上を目指して努力を積み重ねるしかないわけで。
そこで自分自身による向上の努力を放棄、あるいは後回しにして「社会が悪い」「政治が悪い」「小泉改革が悪い」などと他人のせいにばかりしている人は、いつになっても上に上がってくることはできないと思う。
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そこで問題なのは、"向上心" が往々にして "自己中心" に転化してしまう場合があること。早い話が、「状況が見えていない」と、そうなる。公害みたいなトバッチリも、他の競合勢力との摩擦も、その辺の話に行き着くのかも知れない。自身が置かれている立場や状況が見えていなくて、自身の利益や成長だけしか目に入らないと、それはそれで顰蹙を買って叩かれたり、疎んじられたりする原因になる。
特に、急速な成長を遂げてチヤホヤされているときには注意しないと。そこで調子に乗って自身の利益ばかり考えた行動をとっていると、いきなりガラッと風向きが変わって叩き落とされることがありそう。
なんてことを書いたのはいうまでもなく、「最近、中国の動きがちょっとおかしいぞ」と感じるから。俺様国家で、体制維持のためなら手段を選ばないのは以前からであるにしても、最近の中国政府の態度には、いささか余裕が欠けている。尖閣諸島の件でも、あるいはその他の件でも、なんだってそんなにカッカして、過剰ともいえる反応を示すのかと。
以前のように、「発展途上国」と「超大国」を場面に応じて使い分けつつ長期目標に向かってジリジリ進む気の長さが、「超大国意識」に押し切られてきているというか、「追い風が吹いているうちに超大国としての立場を固めてしまおう」という焦りというか。そんな印象がある。
ひょっとすると何か、焦りを生じさせるような事態が内輪で発生しているのかも知れないと思ってみたりもするけれど、これはあくまで状況証拠に基づく推測。
だからといって、いきなり「台湾を武力制圧」とか、さらにすっ飛ばして「日本本土に着上陸侵攻の危険が」なんて話を吹聴するのはどうかと思う。ただ、意思の疎通や駆け引きがうまくいかない等の事情で、予想外の行き違いが発生する可能性はあるかも知れない。となると、念には念を入れた備えや警戒は必要ではないか、とは思う。それが空振りに終われば、それに越したことはないわけで。
向上心は結構なことだし重要だけれど、最近の中国の態度は、それでは説明がつきにくくなってきているように思える。なんだか嫌な感じ。
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