Opinion : いわゆる日本は違う論と、自信の土台 (2013/7/15)
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今週は、先週の話 の続きを書いてみようかなと。
先週は、「なにかというと外国を引き合いに出して "日本はダメだ論" を展開する人のことを書いたけれど、そういう人が出てきたときの反応は、二種類に大別できると思う。つまり、こういうこと。
いや、引き合いに出している外国にだって、いろいろと良くないことはある
日本は事情が違う。日本には日本の事情や流儀がある
前者は、先週に書いた「どんな国にも、いいこともあれば悪いこともある」でとりあえずケリをつけられると思うので措いておくとして、今週のお題は後者。
そういえば、武器開発の分野でもしばしば、「安い○○を輸入すればよろし vs 国産でやるべき」という議論があって、後者で持ち出される理由のひとつに「日本には日本の事情がある。外国製品では合わない」というのがある。日本に限らず、どこの国でも持ち出す理屈だけれど。
ありとあらゆる分野でそれが該当するかどうか、なんて話を持ち出すと収拾不可能になるから、それはやらない。ただ、何かというと「日本は違う」といいだすのって、どうなんだろうと。
それってひょっとして、「真正面からガチンコ勝負するのを避けて、日本異質論というカーテンの影に逃げ込んでない ?」と自問してみる必要がありはしないだろうか、と。それを書いてみたかった。
それとコインの裏表の関係にありそうな話で、「日本はダメだ論」へのカウンターなのか、「日本はこんなにスゴい論」が出てくることも、よくある。念のために書いておくと、そこで取り上げられている話が「実はスゴくない」とくさすつもりは毛頭ない。
ただ、スポーツの試合でも、あるいは "ものづくりの職人芸" でも何でもいいけれど、優れた結果が出たときだけワイワイ大騒ぎして、その結果を生み出すまでの努力の過程、そしてそのための環境整備といったところに無頓着すぎやしないか、個人の努力に寄りかかっておいて、成果だけかっさらっていないか、とはいいたい。
そうやって「いいとこどり」をすることで成り立つ「日本はこんなにスゴい論」。それでいいの ? 都合のいいときだけ、そういう話を引っ張り出してきて悦に入っているのって、実は自信のなさの裏返しだったりしないの ? と、そんな問題提起をしてみたかった。
それに「日本は違う論」「日本は特殊だ論」の中に逃げ込むのであれば、それならそれでツッコミを入れたいポイントがある。日本が諸外国と比較して特殊なら、都合のいいときだけ外国と比較して「日本はスゴイ」って悦に入る必要はないんじゃないの ? 誰かの歌ではないけれども、「ナンバーワンではなくてオンリーワン」といって満足していればいいのでは ?
そもそも、自信っていうのは、何もないところからいきなり湧いて出てくるものではないはず。成功したり失敗したり、勝ったり負けたり、それに対して問題解決の努力を進めたり、といったプロセスを繰り返しながら、得手・不得手を認識して「この分野で、こうすればいける」という形で育てていく。それが、自信ってものじゃないのかなあと。
だから、「根拠なき自信」は論外としても、借り物だったり適当にポン付けしたりして作った「土台が弱い自信」も、ちょいとインパクトが加わればガラガラと崩壊してしまうんじゃないだろうか。
「日本は違う論」「日本は特殊だ論」にしても「ナンバーワンではなくてオンリーワン」にしても、その自信の土台を作るためのプロセスから逃げてない ? と。そんなことを考えてみた次第。
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