Opinion : 個人的な思い入れの行き過ぎ (2014/10/13)
 

以前から何回も書いている口癖 (書き癖 ?) で「個人的な思い入れは仕事の邪魔」というのがある。

実際、「○○の専門家」とか「○○に詳しい人」が、「○○の代弁者」あるいは「○○に対する無条件の擁護者」になってしまった事例はいくつもある。ちょうど最近、該当しそうな事例がひとつ注目されたような…

「過度の思い入れ」を個人が趣味でやっている分には、せいぜい blog や Twitter を通じて喧嘩を売ってくる程度の話で済むが、それを仕事にしている人がいて、そこに新聞やテレビが取材に来るような状況になると、また事情が違う。

そうなってしまったのでは物書きとして鼎の軽重を問われるのではないかと思うので、特定の国・個人・組織・装備などに対する過度の思い入れは持たないように、普段から注意している (つもりである)。


特に、思い入れの対象がマイナーな存在であればあるほど、危ない。マイナーということは、所帯が小さく、似たような価値観を持つ人が集まり、強い団結心を持つようになる可能性が高いからだ。

「○○は世間から認知されていない」となるぐらいなら、まだいい。でも、そこから内向きな形でエスカレートして、「○○は不当に低く見られている」「○○は虐げられている・迫害されている」といった思いを抱くようになると、内向きに固まって殻に閉じこもることになりやすい。

すると、他者を手当たり次第に後ろ足で蹴飛ばすようなことになりかねない。つまり、外部からの批判的な言説、あるいはそこまで行かなくても「全肯定」にならない言説に対して拒絶反応を示し、「○○に対するネガティブな物言いは許さない」なんていうことになる。そうやって先鋭化すると、ますます世間からは相手にされなくなって、以後は悪循環だ。

いわゆるカルト宗教や過激派組織の場合、それを意図的にやることで信者や構成員の団結を強めるとともに、外部に目を向けて「信仰」や「忠誠心」が揺らぐ事態の発生を抑えようとしているのではなかろうか。

ひょっとすると、先々週に書いた「気持ちの悪い持ち上げ方」みたいな事案が発生する背景にも、同じような事情があるのかも知れない。そういう持ち上げ方が跋扈すれば、百害あって一利なしということになるのはいうまでもない。

バリエーションで、情報量があまり多くない国を対象にしている場合にしばしば見られる話がある。つまり、当該国の公式発表やメディア報道に依存しているうちに感情移入 (?) してしまい、公式発表やメディア報道の「伝声管」と化す事案。本人は「紹介しているだけ」のつもりかも知れないけれど、端から見ると「伝声管」に見えてくる。


ところで。その「個人的な思い入れは仕事の邪魔」の裏返しもある。つまり、「個人的な嫌悪や憎悪も商売の邪魔」。ベクトルが反対を向いているものの、根本的なメンタリティとしてはあまり違わない。ただし、ネガティブな感情が根底にある分だけ、実はこっちの方が始末が悪いかも知れない。

つまり「○○は怪しからん」「○○が憎い」という感情がまず最初にあって、そこから「全否定」にならない言説に対して拒絶反応を示し、「○○のいうことはすべて間違っていることにしなければ気が済まない」「○○に対するポジティブな物言いは許さない」なんていうことになる。

これ、相手が権力者でも大企業でもネット上の有名人でも、基本的には同じ。特に最近だと、国家も対象に含めるべきか。先の「全肯定しかできない擁護者」だと個人レベルでハマることが多いけれど、こちらの「全否定しかできない」は、レッキとした報道機関がはまりこむことが少なくない分だけ、罪深いといえるかもしれない。

具体的に「どこの報道機関が」とか「誰を対象にして」とかいうことはいちいち書かないけれども、該当しそうな事案は容易に、かつ、いくつも思い浮かぶのではないだろうか。

さらにもうひとひねりして「○○について否定的なことばかり書く△△のことを肯定的に見るのは怪しからん」となる事案もある。つまり、「○○について否定的なことばかり書く△△のことは常に否定しなければならない」というパターン。

ああややこしい。

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