Opinion : 精神力の間違った使い方 (2017/3/20)
 

3 年ばかり前に、「『人的要素』は『必要条件だけれど、十分条件じゃない』」という話を書いた。ここぞというところで踏ん張らなければならない場面であれば、精神力は物をいうけれども、精神力で物理的な差を埋めることはできないという趣旨。

たとえば、ドッグファイトか何かをやっていて、肉体的にかなりきついんだけれども、ここで踏ん張らないと負けて撃ち落とされてしまう、という場面。そこで「踏ん張る」ためには、肉体的な鍛錬、技量の向上、それと精神力が物をいいそう。

でも、いくら精神力を発揮しても機体の性能差は埋められないし、敵機のレーダーを妨害することはできないし、ウィンチェスターになったときに兵装が補充されるわけでもない。


物書き業みたいなデスクワークをしていても、たまには、精神力が「ここ一番の推進力」になることはある。生命がかかっているわけでもなければ、肉体的にきついわけでもないけれど。

たとえば、期限が迫っている状態で、進行中の仕事を特急で仕上げないとヤバイ、なんていう場面がそれ。自分の場合、なるべくそういう状況に陥らないようにと思って、早め早めに仕事を進めるようにしている。

ただ、いくら精神力を発揮しても、埋められるものと埋められないものがあるのは、戦の話と同じ。取材して集めた材料、あるいは各種の資料が揃っていないと、結局のところ、ちゃんとした成果物はできない。それは精神力だけではどうにもならない。

そういう話を踏まえた上で、「他の要素が拮抗しているときに、最後の最後に勝負を分けるのは精神力かも知れない」という意味で精神力の重要性を説くのなら、それは分かる。

問題は、物理的な差や不足があるのを承知していて、その上で、差や不足を埋める代替手段として精神力を持ち出すこと。それは本質的な問題解決にならない。そこで本来なすべきことは、物理的な差や不足を埋めるための努力。そこから逃げて精神力を持ち出すのは、単に現場に無理を押しつけているだけ。

そういえば。これは戦争の話ではないけれども、民間でも似たようなことをいう人がいる。たとえば、うちのマンションの管理組合で管理費を引き下げるかどうかという話が出たときに、管理会社に対して「企業努力でなんとかしろ」といった人がいた。

具体的にどうするという話ではなくて、「努力でなんとかしろ」というところが精神論。そういうのが往々にして、いわゆるブラック企業・ブラック職場を生む温床になるのではないか ?

JR 北海道に対しても似たようなことをいっている人がいなかったか ? 物理的に乗る人がいないという問題を脇に置いておいて、JR にだけ「努力」を求めても限度があるし、それは往々にして無理を強いることになるのに。


精神力の問題というよりも、「形にこだわるスタイル」の問題かも知れないけど、「指揮官先頭」の話もそう。そりゃまあ、「指揮官が先頭に立って、部下を鼓舞しながら敵に向けて突っ込んでいく」という図は画になるけれども、実際のところはどうなんだろう。

小隊長とか中隊長のレベルなら分かる。でも、指揮下の部隊の規模が大きくなると、指揮官の仕事は違ってくる。ミクロ的な話は部下に任せて、指揮官は全体状況を見ながら最適化を図らないといけないし、それができるのは上級の指揮官だけ。

指揮官が最前線まで出て、状況を実際に目で見て確認するのは大事。でも、だからといって「指揮官が先頭に立って〜」が求められるのかといえば、それはまた別の話。状況を目で見て確認するのは、あくまで全体状況把握の一環。

上級司令部の参謀が最前線までやってきて、指揮権がないのに第一線の部隊に号令をかける、なんていうのは極めつけの勘違い (誰のこととはいわんが)。でも、そういうのを見て「いい」と思ってしまう人、皆無じゃなさそうである。

それぞれのポジションに応じた「あるべき指揮官像」を模索する代わりに、「指揮官先頭」というスタイルを押しつけるのは、先に書いた「精神論による代用」と似た部分があるように思える。「本来なすべきこと」を忘れているという点で。

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