Opinion : どうにもほっとけないホワイトバンド (2005/10/24)
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過去に、「ほっとけないホワイトバンド」「ますますほっとけないホワイトバンド」で、このキャンペーンの内容に関する疑義をいろいろと呈してきた。世間は盛り下がってきているのに、まだ粘着するのかといわれそうだが、今回は、今まではあまり突っ込んできていなかったキャンペーン事務局に焦点を当ててみたい。
厳密には、「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」と「ホワイトバンド・プロジェクト」は別々の組織が運営しているらしいのだが、実質的に不可分の存在ということで、まとめて「キャンペーン事務局」と表記することにする。
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実のところ、キャンペーン事務局の行動、あるいは論旨展開には、あまりにも杜撰な部分や欺瞞的な部分が目立つ。その具体例をいくつかピックアップしてみよう。
(なお、以下の内容で使用している画像は、いずれもクリックすると別ウィンドウで拡大する)
まず、もっとも批判を浴びやすい「カネ」の話から。そもそも、このキャンペーンに対する批判が強まった背景には、「実は募金じゃないのかよ」という反感がある。
確かに、「意思表示」のキャンペーンなら、白い輪っかであれば何でもよい。実際、海外のキャンペーンではそうやっている。しかし、日本では「まずは公式なホワイトバンドを買ってください」という話に誘導した。それでいて、「売上は寄付にならない。キャンペーンなどの活動経費として使用する」ということが明るみに出たからこそ、いろいろと批判されているわけだ。
こうした批判に対しては、擁護派の側から「公式 Web サイトに書いてあるのだから、騒ぐ方がおかしい」という反論がある。しかし、問題はそのことがどれだけ分かりやすく告知されていたか、だろう。そこで、過去の公式 Web サイトと現在の公式 Web サイトについて、トップページの変化を見てみよう。
9/6 の時点でのトップページ。
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9/12 の時点でのトップページ。ライトアップした東京タワーに差し替えられた。
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9/14 の時点でのトップページ。この時点で初めて「これまでの募金活動とはちょっと違います」が登場した。
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10/23 の時点でのトップページ。12/3・4 のライブに関する告知が掲示されている。
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このように、当初は「募金活動ではない」という話が表に出てきていなかった。もちろん、FAQ の端の方にはちゃんと書いてあったのだが、たかだか \300- の買い物をするのに、いちいち公式 Web サイトを隅々まで調べて買う人がどれだけいるか。
しかも、店頭の POP では「百円玉 3 枚で救える命があります」などと、激しく勘違いした内容を記述していた事例もある。故意かそうでないかを問わず、かかる事態を放置したキャンペーン事務局は、購入者の誤解を招いた責任を免れることはできない。最近になってやっと、「募金活動ではありません」と告知するシールを店頭展示用の箱に貼り付けたりしているが、はっきりいって、遅い !
そもそも「ちょっと違います」とは何事か。募金だけれど内容に違いがある、ということなら「ちょっと違います」という書き方で正しいが、募金ではないのに「ちょっと違います」というのは日本語の使い方を間違えている。これを書いたのは、まともな国語教育を受けた日本人なのだろうか ? と疑ってしまう。こんな欺瞞的な書き方をする必要はないのであって、「これまでの」と「ちょっと」は余計だろう。
しかも、当初は「意思表示のためには、我々が販売しているホワイトバンドを買ってください」というスタンスだった。そのことを示したのが以下の画像だ。
9/9 の時点でのトップページ。
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10/23 の時点でのトップページ。右の「ホワイトバンドはいろいろあっていい」が登場したのは、実は 10/4 以降の話。それ以前は左の画面だった。
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自作でも何でもかまいません、白いバンドなら… そういうスタンスが表立って出てきたのは、批判の声が強まってきた 10 月以降の話。現在の公式 Web サイトだけ見ると、当初から「何でもあり」というスタンスだったように見えるが、実は違っていたのだ。このことは、「ホワイトバンドをつけよう」のページでも裏付けられる。
9/6 の時点での「ホワイトバンドをつけよう」。のっけから「販売方法」の案内が出現する。この時点では、このページに質問集は存在しない。
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10/23 の時点での「ホワイトバンドをつけよう」。まず 9/13 に「購入方法」が別ページに追いやられて「質問集」が入り、さらに 10/5 から「いろいろなホワイトバンドがあっていい」という文言が登場した。
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なにしろ、いろいろと批判派から突っ込まれる度に、それに対する反論の記述が増えていき、FAQ が Frequently Asked Question ではなく Frequently Added Question と化した状況がある。この「FAQ 急増現象」は 9/7 からで、さらに 9/13 に追加された。その後も加筆が続いている上に、別のページでも質問集が登場して、公式サイトは FAQ だらけとなった。
こういった動きを見るだけでも、批判の声が高まったのを受けて泥縄式に対応した様子が見て取れる。いまや、公式サイトのあちこちが言い訳で埋められているが、この種のキャンペーンとしては珍無類な出来事といえる。近く予定しているらしいリニューアルでどうなるのか分からないが、手元にはすべて証拠保全済みだ。
そして極めつけが、Yahoo! blog で開設している「公式 blog」。当初はコメントもトラックバックも自由にできたのだが、批判的なコメントやトラックバックが増えてきたら、まずコメントが禁止され、さらに「公開 FAQ に移行します」ときた。
普通、FAQ って公開するために掲載するものなんじゃないの ? あえてわざわざ「公開 FAQ」と称するのは、何か理由があってのこと ? しかも、公式サイトに FAQ のコーナーがあるのに、あえてまた別に公開 FAQ を作る理由って何 ?
そもそも、キャンペーンを立ち上げた当初に説得力に欠けることばかりしているから、こうやってボロが出る。当初からきちんと論理武装していれば、ここまでブザマなことにはならなかっただろう。ホワイトバンドを中国で生産したことが批判されているが、このことも合わせて考えると、とにかく迅速にキャンペーンを立ち上げることだけを最優先したのではないかと想像される。腰を据えてアフリカなどで生産する体制を作る時間はなかったのだろう。
また、キャンペーン事務局の言動には、自己中心的というか、手前勝手な内容が目立つ。その典型例が、国連ワールド・サミットのことを勝手に「ホワイトバンド・サミット」といい換えた事例だろう。国連ワールド・サミットを「いわばホワイトバンド・サミットといえます」といって、いつのまにやら「ホワイトバンド・サミット」と呼んでしまっている (冒頭に示した画像にも出てきている)。これでは、このイベント名称が正式な名称なのだと勘違いする人が出てきそうだ。
そして、このイベントに出席するように、小泉総理に "メールアクション" という名のメール攻撃を仕掛けろと煽った。
結果的には、総理がサミットに出席して演説したわけだが、その内容は基本的には「日本を常任理事国に加えてもらいたい。我が国には、それなりの行動を取る用意がある」というものだった。にもかかわらず、これがキャンペーン事務局にかかると
小泉首相、国連ワールド・サミットで、世界の貧困を "ほっとけない" と表明
ということになってしまい、あたかもキャンペーンの成果として総理の考えが変わったのだといわんばかり。演説内容の解釈は無理がありすぎるし、因果関係の解釈についても、単に「キャンペーン → サミット出席 → 演説」と時系列順に話が並んだというだけの話で、何の裏付けもない。まったく、我田引水で自己満足で独善的としかいいようがない。
また、このキャンペーンでは「貧困問題は、募金では解決できないところまできています」といって、先進諸国に対する債権放棄を求めている。しかし、債権が国によって行われた借款によるものであれば、それを棒引きしろということは、国家の資金、つまり国民が国家に納めた税金の中から募金しろといっているに等しい。「お金では解決できない」「募金では駄目」といっておきながら、実質的にはすべての納税者に募金しろと主張している。
さらにその後に、もっと ODA を増やすべきだという主張が続く。たとえば、例の公式 blog に登場した「公開 FAQ」の第一弾には、
(一般財源化が決まった道路特定財源の) 半分を ODA に回してくれれば、GNI (国民総生産) の 0.7% をクリアーでき、世界中から「日本は素晴らしい」と、尊敬を集めることができます。
とある。要するに、カネで尊敬を買えということか。しかも、公式サイトの FAQ では
途上国のガバナンス改善に援助は役立つ
といっている。政治をよくするには援助が必要 ? しかし、公式サイトが引き合いに出している事例は、「市民社会が援助の使途を厳しく監視した」という前提条件付きのものであって、それが成り立たなければガバナンス改善も何もあったものではない。
典型的な反証事例が手近なところにある。日本は中国に多額の ODA を出しているにもかかわらず、尊敬どころか足蹴にされているような状況だし、しかも共産党の一党独裁政治も変わっていない。政府の批判を表立ってやれば、たちまちブタ箱行きになる。これでは、「市民社会によるガバナンス改善」もヘッタクレもない。
こういうことを書くと、「それは靖国問題なんかがあるからだ」という反論が出てきそうだが、それであれば、ある国が別の国から尊敬されるかどうかは ODA と関係ない、あるいは百歩譲って ODA だけでは決まらない、ということになる。無論、ガバナンス改善も実現できない。とんだ矛盾だ。
そして、債務免除に伴う国民負担についても欺瞞的な説明をしている。
2015 年までの間に日本国民にかかる負担は国民一人当たり年間 13.07 ドル。つまり、一年に 1300 円あまりの負担ということになります。
この「国民一人あたり」が曲者だ。税金で賄われるのであれば、担税力のない人は除いて納税者を単位にしなければ、本当の負担額は出てこない。それを「国民全員」に分散させ、さらに「年間」とすることで、数字を小さく見せかけている
。仮に「国民 1 人あたり」としても、2005-2015 年まで 10 年分だから上の数字の 10 倍だし、納税者単位にすれば、さらに額はふくらむ。たとえば、4 人家族で扶養家族が 3 人いれば、残る唯一の納税者が実感する負担額は 4 倍 (10 年で 40 倍) になる。
私が記憶している限り、最初に批判的な内容が表立ってメディアに登場したのは、日経新聞が掲載した売上使途に関する話、その次が朝日放送の「ムーブ !」という番組だった (確か 9/9 の放送)。そして、「週刊文春」の 10/13 号で、紀藤弁護士と、キャンペーンの仕掛け人・サニーサイドアップ社長の次原悦子氏が対談した。その対談の席で、次原社長はしきりに「ニセモノ」の存在に言及、非難がましい発言をしていた。
目的がはっきりしないニセモノは怪しからんというが、そもそも目的をはっきりさせないでホワイトバンドを売っていたのは誰だといいたい。先に示した画像で分かるように、はなから「使途不明瞭」の状態で売っていたのは、当のキャンペーン事務局だ。そして、さんざん批判されるようになってから、とってつけたように言い訳を始めた。こんな調子でニセモノの批判ができる立場だろうか。
有名人を多用して「セレブがつけてるおしゃれなアイテム」という雰囲気を出して宣伝したからこそ、大きな "ムーブメント" になったというのは正しい見方だろう。実際、「(有名人の) ○○がつけてるから」といった理由で買った人も少なくない。
ただ、そういう仕掛け方をしたが故に、「近くのお店で売っていなければ、何としても欲しい」と思う人が出てくるわけで、そういう人がネットオークションに走るのも当然の帰結。そうなれば、ヤフオクでひと儲けを企む輩だって出てくる。これに対して事務局側は
オークションなどによる営利目的の転売は本意とするところではなく、本当に残念なことです。ご購入いただく際には、売上の使途に注意を払ってのご購入をお願いします。
といっているが、需要と供給があれば取引が成立するのは基本的な経済原理で、これは自業自得。しかも、その事務局からして、当初は使途について強調していなかった。いまさら何をいっておるのかと。
それに、こんな売り方をすれば、流行が去れば忘れ去られるのは世の習い。すでにその兆候は現れている。9/10 のイベントからこちら、ガクッと盛り下がったのは間違いない。
もともとサニーサイドアップは PR が本業の会社だから、多くの人を巻き込んで「ムーブメント」を起こせば、ビジネスとしては成功なのだろう。なるほど、イベント屋や PR 屋の視点からすれば、成功したかどうかを測る尺度は「巻き込んだ人数」だろうから、数百万本のホワイトバンドを売りさばけたのは「成功」といってよい。その割に街で見かけないのは変な話だが。
しかし、以前の記事でも指摘しているように、貧困問題とは構造問題だ。時間をかけて粘り強い活動をしなければならない課題に対して、かような一過性のイベントを仕掛けるのは、後で飽きられて忘れられる結果につながり、却って害毒を流すだけではないか。
いわんや、東京タワーのライトアップなんて、ただの自己満足でしかない。あれで何か効果が上がったといえるのか。いえるのなら具体的に数字を出して説明してみろといいたい。「メディアに取り上げられました」と成果を述べているところからして、視聴率やページビューで効果を図る広告代理店の発想ではないか。本来目指すべき成果は別のところにあるだろうに。
ちなみに、この東京タワーのイベントでは、「入場料 \300-、ホワイトバンド付きで \500-」と Web サイトに書かれていたのに対し、実際にはホワイトバンドを持っていないと有無をいわさず \500- で、バンド付きで買わされたという "事件" があった。件の週刊文春の記事での紀藤弁護士の発言によると、これはスタッフのミスだったという。
しかし。「入場料」という重要な部分で情報の周知徹底を怠っていたあたりにも、運営の杜撰さが見て取れる。スタッフが有給だろうが無給ボランティアだろうが、そんなことは参加者にとっては関係ない話。どちらにしても、いい加減なことをやって許される訳ではなかろう。
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もしも、このキャンペーンが一過性のものではないというのであれば、何も 2005 年末まで、とキャンペーンの期限を切る必要はなくて、10 年ぐらい継続実施するのが筋だろう。この辺にも、矛盾というか、奇怪な思考過程が見える。「キャンペーンは年内で終了です。でも、貧困について考えるのは止めないでね」といいつつ、流行モノを仕掛けるのと同じ手法で売り出している。なんだかな。
正直な話、このキャンペーンは、とんだ置き土産を残してくれたと思う。もともと「物販系チャリティ」というか、「売上の中から寄付します」という類のものはいろいろあったが、ホワイトバンドという前例ができてしまっただけに、今後はこうした活動が疑いの目で見られる可能性が高まるのではないか。
以前に 2 ちゃんねるのどこかのスレッドで書いたネタだが、ホワイトバンドの運営、あるいはカネの流れの透明化・明瞭化を求める「シースルーバンド」運動を呼びかけたいところだ。もちろん、バンドは自作品で OK :-)
正直な話、もっとも「ジャスティス」が必要なのは、このホワイトバンド・キャンペーンだ。
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