Opinion : 社民党にだけはいわれたくない話 (2007/1/22)
 

先週、「リアリズムって何だろう」という記事を書いた。真のリアリズムの持ち主であれば、自分の信条、あるいは理想とは反する状況が出来した場合でも、そこでヒステリーを起こしたり思考停止を起こしたりせずに、目の前の現実に対して取り得る手段を講じられるんじゃないの、という趣旨の話。

おそらくこれは、昨年暮れの 12/25 に書いた「"100% でなければ要らない ?」にも通じる話。つまり、100 点満点にならなくても、30 点でも 50 点でも、とにかく理想とする方向に近づけることができればそれで良し、という考え方。現実が理想とかけ離れているからといって、そこで思考停止して立ち止まってしまったせいで余計な犠牲が出たら、犠牲になった人は浮かばれない。

なんでこんなことを書いたのかというと、社民党の阿部知子議員がやらかしてくれた「オイタ」の件があったから。すでにあちこちで流布されているから御存知の方も多いだろうけれど、念のために引用。御本人の公式サイトとメールマガジンに掲載された発言より。

阪神大震災は 12 年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった。日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、国土保安隊として出発し、防災のたねにも働くことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である。
(注 : typo も含めて原文ママ)

いくらなんでも、これはひどい。その阪神淡路大震災のときに自衛隊の最高指揮官、つまり内閣総理大臣を務めていたのは、社民党 (当時は社会党だっけ ?) のマユゲ総理じゃなかったのかと問いたい、問い詰めたい、小一時間問い詰めたい。
その最高指揮官が、後から「何分にも初めてのことで」とかなんとか言い訳する羽目になった、初動の遅れを引き起こしたのではなかったのか。

そういう状況があったのに、知らぬ顔の半兵衛を決め込んで自衛隊の初動の遅れを非難する阿部知子議員には、謹んで「2007 年版 "おまえがいうな" 大賞」を進呈したい。


自衛隊でも警察でも消防でも、何か国民の生命・財産に危険を及ぼすような事態が発生したときには、直ちに出動して身体を張るのが仕事。そのために平素から厳しい訓練を積んでいる。戦争でも災害でも火事でも事故でも、何も起こらないで済むなら、その方がいいに決まっている。でも、何もないからといって自衛隊や警察や消防が練成に手を抜けば、いざというときに役に立たない。

これは何も現場の人たちに限った話ではなくて、指揮権を持っている上層部についてもいえること。特に自衛隊の場合、内閣総理大臣が最高指揮官として存在しているわけだから、その総理大臣にだって現場と同じ心構えが求められるはず。国民の安寧を守り、生命・財産が損なわれないように可能な限りのことをするために総理大臣がいるのであって、そのために高い給料をもらっている。100% の結果が得られなくても、一人でも多くの人が救われるのなら、可能な手段をすべて講じるのが仕事だろうに。

なにも、第一報が入った途端に総理が率先して被災地に行き、陣頭指揮をとれなんていわない。陣頭指揮にはもっと向いた人材がいるので、総理は総理でないとできないことをするのが本来業務。そして、自衛隊にトットと出動命令を出すことこそが、総理でないとできない仕事じゃないのかと。

ましてや、「何もあって欲しくない」という願望が先行するようでは、不測の事態に備える組織としての体をなさなくなる。これは立法府たる国会の議員でも同じで、「○○という事態はあってはならない」という信念が転じて「○○に備える法律なんて作ってはならない」というリアリズムを欠いた態度になれば、立法府の一員としての務めを放棄したも同然。
(たとえば有事立法や交戦規則。ちゃんとした法規定を整備しておかなければ、いざというときに脱法行為を余儀なくされてしまう可能性が高いし、そっちの方がよほど恐ろしい)

阪神淡路大震災のときには、近隣地域に駐屯する自衛隊の現場では早く救援に出動したくてジリジリしていたというのに、上の方からはなかなか正式な命令が来なかったと聞く。そして、その「上の方」が行きつく先は最高指揮官の内閣総理大臣であり、災害派遣を要請する立場にある兵庫県知事。もっとも、兵庫県知事は被災した立場でもあるし、まだ弁護の余地がある。でも総理大臣は違う。

だから、「何分にも初めてのことで」なんて泣き言を公言した時点で、もう村山元総理は総理大臣としての資質を欠いていたといわざるを得ない。誰がやったって初めてなんだから。在任中に何度も激甚災害を体験した総理なんて、そうそういないよ ?

もしも「社会党員としての信念」が自衛隊の出動、あるいは米軍などからの支援の申し出を阻害する際に影響したのだとしたら、村山元総理は「自身の信念のために国民を殉死させた」といってもいい (これが事実だったなんて思いたくない。あくまで仮定の話だ。為念)。
これは、何かというと「憲法 9 条」を聖典化してかつぐ「9 条教」の人にもいえること。そもそも憲法でも何でも、国民の安寧、あるいは生命・財産を守るために存在するのであって、「9 条を守るためなら侵略を受けても抵抗してはならず、死ぬ方がマシだ」なんていうのは本末転倒もいいところ。


こうした背景事情があるのにそれを無視して「自衛隊は数日後になるまで出てこなかった」と事実に反するケチをつけている阿部知子議員は、全自衛隊員を誹謗中傷している。今からでも遅くないから、直ちに市ヶ谷まで行って、自衛隊ならびに防衛庁関係者に対して土下座して謝罪してもらいたい。
(いわゆるサヨクの人はしばしば、自分たちのことを批判されると「誹謗中傷だ」と騒ぐが、本当の誹謗中傷とはこういう場面で使うものだ。お間違いのなきよう)

平素、社民党 (や、その前身の社会党) はシビリアンコントロールが重要だとかなんとかエラソーなことばかりいっていたはずだ。自衛隊の出動が遅れたそもそもの原因は、そのシビリアンコントロールを厳守したせい。その結果として多くの人命が損なわれたのだから、どう見ても弁解の余地なし。自衛隊を、あるいは安倍政権を批判するためならなりふり構わず、阪神淡路大震災の犠牲者までダシに使うというのか、社民党は。

私が以前から何度も書いているように、シビリアンコントロールだからこそ、最高指揮官たるシビリアンには、それに相応しい知識と識見が求められる (指揮権には識見がつきものなのだ)。なのにたまたま、その識見を欠いていた人物が最高指揮官の椅子に座っていたときに最悪の事態が発生してしまった。だからこそ、社民党ならびに村山元総理こそ、シビリアンに求められるものの "重さ" を、もっとも真摯に受け止めなければならない立場にあるはず。なのに、その社民党関係者が、いったい「どの口からそれをいいますか ?」と阿部知子氏を問い詰めたい。

しかも信じがたいことに、阿部知子議員は阪神淡路大震災の救援活動に加わったといっているそうではないか。それならなおのこと、現場がどういう状況だったか知らないはずがない。それなのに、なんということを。
被災者の間では村山総理 (当時) に対する怨嗟の声が渦巻いた、なんて話も耳にするが、そういう話は阿部知子氏の耳に入らなかったのか、入っても右から左に馬耳東風だったのか。それとも、「被災地で救援活動に従事しました」という話は (以下自主規制)


ところで。ほんの 2 週間前に、私はこんなことを書いた。

意図的かどうかに関係なく、炎上するための "火種" や "燃料" を投下してしまう人は、それなりの理由があるのが普通。

まさか、それを地で行ってしまい、自ら炎上の火種を投下する公人が "計ったかのようなタイミングで" 現れるとは、予想もしていなかった (もっとも今回の場合、炎上したのは御本人じゃなくて秘書の blog だけれど)。国政の場にいる人こそ、本当にリアリズムが求められるポジションだというのに、こんなファンタジーの世界に生きている人がいるようでは先が思いやられる。

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